伴侶やパートナーの死

私は30代で夫と死別しました。
あれから5年経ちますが、さまざまな折に記入する書類の既婚/未婚欄に記入する時、未だに躊躇します。 離婚した訳じゃないから気持ちは既婚のまま。 それなのに未婚を選択するのがどうにも納得がいかなくて、 最近はどちらも選択せず、必要と言われるまで空欄のままです。(夫を亡くした女性)

伴侶・パートナーの死

伴侶はその他の親族の場合と違って、その人との繋がりが自らの意思に基づくという点で象徴的です。
伴侶は、自らの人生を、文字通り共に歩む者として存在しています。二人は、自らの人生における多くの物を共有しています。夢や今後の人生の設計と言った大きなものから、日常のルーティーン、食べ物の好み、ユーモアのセンスまで、様々なものを共有しています。そして、伴侶は、忠誠心、心の支え、優しいふれあい、性的な喜び、そういった多くの物を与えあっています。伴侶は、友人であり、戦友であり、コンサルタントであり、秘密の打ち明け役であります。
そして、伴侶は家庭の内外で、カップルとしての役割を分担しています。一方が収入源で経理係であり、もう一方が調理人で外交官である、というように。また、夫婦は、多くの場合カップルとして社会に認められ、社会に対応していきます。
カウンセラーで死生学者のウォース・キルクリースはこう言います「二人の親密な関係は、二人の人生を神秘的にも3つの側面に変化していきます。それが『あなた、私、私達』です。いろいろな程度はあるでしょうが、この『私達』がそれぞれの人生の重要な要素を決めているのです」。さらにキルクリースは伴侶の死の特徴をこう説明します。「伴侶やパートナーの死はこの神秘的な『あなた、私、私達』は突然『私』だけになってしまいます。私たちは同時に『あなた』と『私達』の2つを失うのです。」

様々な関係

伴侶やパートナーの喪失におけるグリーフは、そのカップルの年齢や、履歴、性格や関係性に影響をうけます。
比較的新しい関係はこれから築くべきものでいっぱいです。夢と将来への希望や展望が大きく、その相手がいなくなると、別の未来を描かないといけないという難しさがあります。
永いこと一緒に時間を過ごしたカップルの場合は、これまでに共に成長し、内面の世界の多くの部分が共有化されています。互いに補い合い、支えあってきた歴史があり、『私達』の姿は完成しています。ここでは、二人は記憶と経験をシェアしており、日常的な生活には、ある程度決まったパターンがあり、その意思疎通の方法も言語に頼る事が少なくなっているかもしれません。このような関係が終わり、『あなた』と『私達』が失われると、遺された者には新しい自己の姿を作るのは難しい事です。
非常に親密なカップルで、カップルを中心として世界を築いている場合あれば、もっと独立して、それぞれが関係を築いている場合もあります。カップルの一人が、もう一人よりその関係に(カップルの相手ではなく)依存的な事も良くあります。
このように、今までのカップルの歴史が様々なように、二人の関係性が配偶者の喪失のグリーフに影響を与えるのです。

伴侶・パートナーの死を取り巻く問題

二次的喪失と現実問題への対処

伴侶の死は、現実的な問題に大きな影響を与えます。故人が主な収入源であった場合には経済的な問題が大きな不安要素になります。 小さな子供のいるカップルの場合は、誰がどのように子供の面倒を見ていくかを緊急に決める必要もあります。残された男性が家事を妻に頼り切っていたような場合も、生活の質の低下が避けられません。 こういった二次的な喪失に対処しようとするとき、遺された者は、今までなら近くにいてくれた相談役であるはずの肝心な伴侶がいない事に気付き、これからは一人で決定、問題解決をしていかなければいけない事を改めて感じます。
収入の問題や家事の問題は、必要に迫られて行う事で、自信が付くことも実は多くあります。「できると思っていなかったことが出来る」というのは自信につながり、さらなる喪失への適応に繋がります。しかし、「調理人」や「庭師」といった故人の持っていた役割や機能は自ら習得することが出来ても、恋人、伴侶、秘密を打ち明けられる友であることは習得できるものではありません。二次的喪失への適応は、新たなる喪失への気付きとなることもあり、空虚と孤独感を掻き立てられることもあります。

残されたお金を使う事

故人が家庭の主な稼ぎ手の場合、遺された伴侶は、これからの生活がどうなるのかを心配しますが、もう一つあるお金に関する反応が、「故人の遺したお金を使う事への罪悪感」です。夫が亡くなり生命保険が下りた、あるいは仕事をしていた妻が思ったより多い貯金を遺していた、など、死に伴ってまとまったお金が手に入る事があります。こういったお金を使う事、特に生活費のような「消えていく」事に使う事に遺された者が罪悪感を感じる事があります。金額の多さ、周囲の人が「充分なお金が遺されたかどうか」を気にすることに関する反発から、お金が欲しかったわけじゃない、と感じるようです。中には「日常的でない」方法として、遺されたお金の全てや一部をもう少しシンボリックな目的、例えばお墓や仏壇、寄付などの方法で使う人も居ます。

新しい関係

配偶者の死後の新しい関係も、グリーフに影響を与えます。
殆どの人にとって、すぐに新たな恋愛関係を持つことはタブーです。自らの一部を切り取られたような痛みの中で、新たな関係を持つことなど、全く想像できないのです。しかし、グリーフの痛みが落ち着いてくると、その可能性を考えている自分が恐ろしくなることがあります。「この先、誰かを好きになってしまうかもしれない」と。故人との絆を大切にしたい気持ちと、新しい関係によってその絆が切れてしまうのではないかという恐れを同時に感じるのです。
本来は、本人が準備が出来たと思ったところで新たな恋愛をすればいいのですが、遺された者は、他の人を好きになる事は故人への忠誠心に反する事だと感じます。ほかの人を愛するために、故人を愛するのを止めなくてはいけないわけではないのですが、その事に気が付くまでには時間がかかります。
一方、グリーフから回復したことを強調したいため、『前向きに生きたい』という願望を何とか形にしたいがため、あるいは単純に寂しさに駆られて、性急に新たな関係に飛び込む人たちもいます。しかし、こういった理由で始まった相手がほしいがための新たな関係は、ほとんどのケースで失敗し、更なる喪失を重ねる事になります。