ノーマルなグリーフのプロセス

まず最初に

グリーフ理論、特にここで解説する「段階理論、フェーズ理論」は今まで歴史的に多くの誤解をもって理解され、そういった意味で非常に微妙な問題をはらんでいます。そこで、まず次の点についてご理解いただきたいと思います。

  • ここでいう「ノーマル」は別途解説している「複雑化したグリーフ」(ある意味で特殊で病的なグリーフ)に対応する意味で使用しています。ですから、反応の例が死別を経験している人の正しい、あるいは間違った反応である、という意味でのノーマルと言う意味ではありません
  • 死別への反応はそれぞれの指紋のように様々で、例にあるような、ある特定の反応が起こるとは限りません
  • 様々な反応がある特定の順序で起こるわけではありません。これらのフェーズを時間単位、週単位、月単位で「行きつ戻りつ」、あるいは同時並行的にに経験していくと考えるべきです。

参考リンク:複雑化したグリーフ

プロセスの全体像としての段階論、フェーズ論

今までに、グリーフの理解の仕方として長いこと使われてきており、また今でもグリーフを語る時に大きな影響を持っているのがこの段階論、フェーズ論というものです。こういった段階論、フェーズ論にカテゴリー化される理論を発表してきた研究者は数多く、エーリッヒ・リンデマン(3段階)、ジョン・ボールビー(3フェーズ)、ジョージ・エンゲル(6段階)、有名な5段階論のキュブラー・ロス、コリン・マレー・パークス(4フェーズ)と数多くあります。(2015年6月、キューブラーロスの5段階論を詳しく解説した「キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」を読む」のページを作りました。
これらは、死別を経験した人間の、典型的な心の動きや体の痛みと全体の方向性を表現した、一種の「プロセスの全体像」とも言うべきものと考えて良いと思います。しかし、段階論は、全ての人のグリーフは、段階的に、一直線にステップを踏んで進みむ、と考えており、後年その不具合を強く指摘されました。一方、フェーズ論では、グリーフはいくつもの局面(フェーズ)をもち、それぞれのフェーズは、フェーズ間を行ったり来たり、あるいは同時進行的に経験される、また、個人でその経験は非常に異なっている、という考え方で、段階論にとって代わりました。
。 トーマス・アティッグはこれらの段階論、フェーズ論に批判的な立場をとっていますが、この段階論、フェーズ論を非常にわかりやす形でまとめています。

これらさまざまな考えを詳しく検討することはひかえ、ただ、共通するパターンを心にとめておくようお願いする。それは、悲しむとき、私たちはまず死別によって打ちのめされると語っているということだ。強烈で、しばしば、押しつぶされそうなほどつらい経験の衝撃に包まれる。しかし、結局、生活のなかである種の新たな均衡にいたる。溺れかけたあとで岸に打ち上げられたような具合だ。もっときちんと述べれば、悲しむとき、私たちはまず、ショックを受ける、信じるのを拒む、切望する、故人に心を奪われる、その人を思い出させる光景や音や匂いを鋭く意識する、故人を慕い捜し求める、感覚が麻痺する、防衛の姿勢に退却する、否認するといったことを経験する。この最初の局面ののち、私たちは中間の局面に投げ込まれる。この局面では、肉体的疲労、故人が経験したような徴候、落ちつきなさ、いらいらしやすいことに現われる死別の影響力を経験する。悲しみ、抑鬱、不安、絶望、無力感、恕り、落胆、罪悪感といった激しく強い感情を背負わされる。故人の理想化にしがみつく者もいる。私たちは日々の生活をおくる意欲を失い、なじみ深い行動パターンの崩壊を経験すると言われる。他の人から孤立し、なかには、(神を含む)他者と交渉して、受け入れられない新たな現実を変えようとして失敗する者もいる。目的も希望もない状態に陥る。最終段階で、肉体への影響が消えていく、感情の激しさがやわらいでいく、故人にとらわれなくなっていくといったことを経験する。情緒の均衡は回復し、私たちは自分の身に起こったことを受け入れるようになる。社会的な触れ合いを確立しなおし、新たな役割を引き受け、新たな能力を身につける。死んだ人のことを苦痛なしに思い出し、その人との絆をゆるめる。私たちはふたたび、目的と希望をもって日々をおくるようになる。

多くの本が、私たちは自動的に諸段階・諸局面を経るわけではないと注意し、私たちが諸局面を経験するとき局面どうしが重なり合うと示唆する。多くの観察者が、私たちは、悲しむとき、融通のきかないやり方に陥ってしまうわけでも、個性を失ってしまうわけでもないと主張する。しかし、私たちが肉体、感情、行動、社会、知性面の影響を、予測できる順序で経験するということは誰もが強調する。

(死別の悲しみに向きあう:トーマス・アティッグ:1998)
※注:トーマス・アティッグは段階論、フェーズ論に批判的立場をとっている

フェーズ論のいくつかの例

パークスの4つのフェーズ

ボールビーはそのアタッチメント理論に基づいてグリーフの3つのフェーズを唱えましたが、その弟子ともいえるパークスはその理論に改訂をくわえ、4つのフェーズを提案しました。

フェーズ 特徴

心の麻痺
Shock and Numbness

  • 大きな情動の変化に心を麻痺させることで対応しようとする人間の正常な対応
  • 現実や情報の把握が出来ない、判断が出来ない
  • 食事や水分の補給といった基本的必要事項を満たせない

探索と切望
Searchin and Yearning

  • 失ったものを取り返そうとする試み
  • 死んだ人は戻って来ないと知りつつ、しかし探してしまう。
  • 警戒態勢で(帰ってくるかもしれないと感じる、物音に敏感に)、緊張し、落ち着かない
  • 高い覚醒状態
  • 故人のことばかり考えてしまう(身なりにかまわない / 普段なら興味を示す事にも興味が持てない)
  • 故人の存在を視覚、聴覚、臭覚で感じる
  • 故人の思い出に繋がる場所、物、香りなどに敏感に反応する
  • 故人の名前を(時に大声で)呼ぶ、話しかける
混乱と絶望
Disorganization /
Disorientation
  • 失ったものが取り戻せないことを確認したことへの反応
  • 全体的な抑うつ的症状が長く続く
  • 食欲、意欲がなく、判断力低下、不眠などの症状
  • 旧来のパターンが機能しない事への絶望
  • 日常生活が大きく変わる事への混乱
  • 故人の存在を感じる
  • 接近と回避、揺れ動き
回復と再編
Reorganization / Resolution
  • アイデンティティ・外界把握の見直しと再編
  • 少しづつ変化を受け入れる
  • 活力が少し戻り、社会性が向上

ロバート・ニーメヤー

ニーメヤーは「最愛の人の死という大きな痛手、大きな喪失に限れば、体験者の 感情面の反応はもとより癒しに至る過程にも何らかの共通性を見出すことができる」といい、3つのフェーズ(局面)を提案しています。もちろん、「典型的なグリーフの反応とは、あくまで一般的なパターンをさし、ブリーフの荒削りな描写を意味するもの」、「グリーフの意味を理解するための一つの基盤と考えるべき」と考えていることを付け加えておきます。

フェーズ 特徴
回避のフェーズ
  • 死に直面し、ショックで無感覚状態になり、現実把握ができない。
  • 愛する人の死は、容易に受けとめられない。
  • 喪失の全体像が見え始める
  • 喪失のつらさを回避するために、死を否認する。
  • 喪失に抗議し、往々にして周囲の人間に怒りとして表現される。
  • 感情が感じられない
  • そして次第に感情の波が襲うが、感じないようにする。
同化(直面)のフェーズ
  • 喪失の現実はいつまでも回避できない。
  • 愛する人の不在は否定できない。
  • 会いたい気持、恋しさがつのり、激痛や寂寞感に襲われる。
  • 人に苦しみを話したいが、できない (ほかの人には解ってもらえない、話して解ってもらえないと失望する)
  • 抑うつ状態に陥る。引きこもりになる。
  • 身体的不調 。怒り、後悔、自責感がつのる。
  • 絶望、無気力、虚無感に苛まれる。
  • 二次的喪失に気が付く
適応のフェーズ
  • 愛する人の生還を諦める。
  • 激しい感情の波がなぐ。
  • 現実に目を向ける。
  • 将来が不安
  • 愛する人のいない生活に適応する
  • 適応が進むことに罪悪感を感じる
  • 新しい生きがい、目的をさがす。

喪失への適応とは

適応にかかる時間

「どのくらいこの苦しみは続くのですか?」「こんなに長く辛いのは私はおかしくなってしまったのでしょうか?」、グリーフのさ中にいる人からよく尋ねられるのが、こういった質問です。
そして多くの専門家が、ガイドラインとしても期間を語るのを躊躇します。それは、人はそれぞれの悲しみに、それぞれの形で反応し、適応して行くために、そういった意味で「普通の期間」はないという考え方からです。
しかし、それではあまりに曖昧で、何の役にも立たない、と言う方もいらっしゃるでしょう。
先ず、こういった大きな仕事をやり遂げるには、長い時間がかかるということ、それから、グリーフからの回復はあなたや周りの人が一般的に考えているより、ずっと永くかかるという事を覚えておいてください。多くの専門家の意見を見てみますと、非常につらい感情面のローラーコースター状態や、肉体的な不調(グリーフの反応)が徐々に納まり、日常的な機能がある程度のレベルまで回復するのに「数か月」から「1年ではたりない」くらいの時間がかかると言われています。
一方、グリーフに適応できた、喪失に何らかの意味を見出し、人生に積極的に取り組むようになったと本人が感じるまでに(グリーフワークが一定の終結を見たと考えるまでに)は、もっと時間がかかり、数年はかかると言われています。しかし、長い人生の中では一度適応が出来たと思っていても、環境の変化などから再度自分と故人との関係を見直す必要がある事もあり、喪失との適応は一生かけて行う仕事とも言えます。ここでは三人のグリーフ研究者の意見を紹介します。

通常の「グリーフ反応」は、非常に多くの側面や要求を持っていて、何か月も続く事も、それよりもっと永く続くこともあるかもしれません。しかし、通常の「グリーフワーク」は何年も続くことがあります。グリーフ反応が納まっても、ずっと永くです。重大な喪失の場合は、その後も何度もその喪失を再訪したり、改めて作業しなおしたりするので、一生続くと言う人もいます。これは、当初のグリーフ反応がずっと続いているという事ではないし(そういうのは病的と考えられます)、喪失の事実を認められなかったとか、そういう事ではありません。重大な喪失の継続性とはこういうものなのです。

テレーズ・ランドー(「死と死ぬことの百科事典」より)

グリーフ反応の方向が一直線でない事は知っていただきたいと思います。そして、固有の時刻表もないことを。グリーフ反応は、何年もかかって、ゆっくり納まって行くこともあるなど、かなりの時間続くことがあります。研究によれば、人は単に「死を乗り越えた」りはしないのです。痛みと無力感は、長い時間をかけて納まり、喪失以前と同じように(人によっては喪失以前以上に)うまく機能できるようになるという方が良いかもしれません。それでも亡くした人との繋がりとアタッチメントは続き、死後何年もたってから強いグリーフ反応を起こすこともあります。例えば、孫の誕生が、未亡人に、「夫がこの場で一緒に喜ぶことが出来たら」と、グリーフを起こさせることもあります。

ケニス・ドーカ(「死と死ぬことの百科事典」より)

それでも道が険しいことには変わりありません。特に一年目の最も象徴的で大切な節目(休暇、故人の誕生日、命日)には、生活の機能がさらに低下します。しかし最終的 には、喪失からの学びを生かせるようになり、二度と取り戻すこ とができない、だんだん簿らいでいく過去の経験を、人生の一部 に取り込んでいけるようになります。
その時点になると、苦痛と直面する勇気も湧いてきて、人生を もっと深くつきつめようと考え始めます。ただし、この道程は、 二~三ヶ月ではなくて、一般的に考えられているよりも長く二~ 三年は続きます。「グリーフの刺すような痛み」を定期的に何年 も味わうこともあります。あるいは何十年も経ってから経験する ことさえあります。こうした経験は、かけがえのない人・大切な ものの喪失に順応する過程の一部・であり、一般的でごく自然なことです。グリーフ・プロセスが後退しているのでもなければ、解決の兆しがないわけではありません。

喪失体験後の行動レベルの変遷

死別体験者の行動レベルの変遷

ロバート・ニーメイヤー:「〈大切なもの〉を失ったあなたに」:鈴木剛子訳:春秋社

関連リンク:記念日反応をやり過ごす

適応への進み方

また、グリーフへの適応は一直線には進みません。ある人はこれを、「勝手に駒が無くなったり増えたりするジグソーパズル」と呼んでいます。合ったと思った駒が消えたり、知らぬところから駒が現れたり、進んだかと思って安心していると夜の間に崩れて居たり、こちらのつじつまを合わせるとあちらが合わない…。
ですから、グリーフの反応も多様なだけでなく、その現れ方も一様ではありません。ある時は強く、ある時は弱く、引いたかと思えば、何かの要素に刺激され て、以前より強く再来し、時間単位、週単位、月単位で波のように押し寄せるように感じられることもあります。ある程度の社会的な適応や、内面的な適応が進んだ場合でも、故人への思いが強く噴出し、これまでの進歩が台無しになってしまったような気がすることもあります。ある程度適応が安定している場合でも、遺された者と故人の関係は変化していきます。まるで、その人が生きていた間も、その人との関係が変わることがあったように、故人との関係も変化し、遺された者の残りの人生の間この共生は続いていくのです